人妻の条件

結婚の失敗なしには人妻セックスもない

「人妻」と呼ばれることになる女性は、結婚することによって誕生します。そして、「人妻」は、結婚すると同時に「人妻好き」の男性からの欲望を受ける対象にもなります。

「人妻好き」の男性と、「人妻」と呼ばれる女性が、いわゆる「姦通」「不倫」と呼ばれるような不適切な関係を持つのを見ると、「なぜ、夫というものがいながらにして、人妻とよばれる女性たちは夫以外の男性とのセックスをしてしまうのだろう」という疑問が芽生えてきます。

「夫以外の男性とセックスをする」のであれば、はじめから結婚などせずに、自分の存在を一人の男性に縛り付けなければよかったのではないか、とも思わされます。

夫以外の男性とセックスをしてしまった人妻も「こんなことなら、はじめから結婚なんてするべきではなかったんだわ」というような感情を抱きながら、夫以外の男性とのセックスによって生じる後ろめたさとともに、その後ろめたさゆえに、強烈な快楽を味わい、絶頂を迎えているのかもしれません。

「人妻」との性行為というのは、「人妻」たちの失敗した「結婚」によって成立しています。「結婚」「失敗」がないところに、人妻セックスは誕生しません。

今回は、人妻セックスの快楽の鍵であり、その成立条件であるところの「結婚」について考えていくことにしましょう。

結婚という制度によって成立する人妻セックスの快楽

結婚という制度によって成立する人妻セックスの快楽

「人妻」「夫以外の男性」とのセックスの場面において、「夫以外の男性」は、「夫がいる女性とセックスをしている」という状況を楽しんでいます。この楽しみがなければ、人妻とセックスする理由はないでしょう。

「夫以外の男性」「人妻」とするセックスには、「ただセックスをしている」という肉体的な感覚にくわえて、「他人の妻である女性を奪った」という簒奪の感覚と、「結婚している女性という禁じられた存在を犯している」という禁忌をおかす感覚、肉体だけでは割り切ることができない感覚が混じり合っています。

その複合的な感覚が、「姦通」特有の快楽を担保しているといえるでしょう。人妻とのセックスにおける快楽は、通常の直線的で単調な肉弾セックスに比べると、様々な異なる感覚が「雁字搦め」になって複雑化して結合しており、精神的な要素が強めである、というのが私の考えです。

「夫以外の男性」は、「人妻」とのセックスを通して、「人妻」だけでなく、「夫と妻と間男」という三角関係に欲情しながら、「結婚」という「制度」とも同時にセックスしているのです。

人妻に最初からあたえられていた選択肢に着地する

「人妻」という存在がほとんど宿命的に抱えることになる根本的な過ちは、「結婚」というものを通して「人妻」に転生してしまうことにより、「夫以外の男性とのセックスの可能性」を孕んでしまう、というところにあると私は考えています。

一人の女性が、ある特定の一人の男性と、「交際」「同棲」といった形で共同生活を営むのではなくて、わざわざ日本国に許可をとって「結婚」をし、「人妻」になった瞬間から、その女性は「不倫をする」という選択肢を手に入れることになるのです。

人妻が、実際にそれをするかしないかの問題ではありません。「あやまち」とされる選択肢が、なかば強制的に人妻に与えられるのです。それは、人妻の意思を超えて組み込まれた悪意のあるプログラムのようなものです。

「人妻」「夫以外の男性」とセックスをして「不倫」をした場合、それは、「結婚」をした瞬間から「人妻」のなかにあらかじめ内在されていた「可能性」の一つに着地した、ということでしかありません。

自由なセックスという選択肢を失う人妻

自由なセックスという選択肢を失う人妻

「人妻」による「夫以外の存在」とのセックスというものは、「浮気」以上に断罪される傾向にあるのですが、それは、「人妻」というものが「結婚」という「制度」を受け入れた以上、仕方のないことであるといえるでしょう。

「結婚」という失敗をおかさなければ、人妻は「不倫」をするという選択肢を持つことなく生き続けることができるのですし、「不倫」によって断罪されたり背徳感を抱いたりする必要もありません。

「人妻」にならなければ、きっと、いつまでも「フリーセックス」を思う存分楽しむことができるでしょう。しかし、一人の女性が「人妻」になってしまった以上、その人妻からは「自由なセックス」という選択肢は奪われることになるのです。

「人妻」と呼ばれ、「姦通」をおこなう女性は、「結婚」をした初期段階では、この「自由なセックス」という選択肢が失われることに対して何も感じることがありません。

ですが、「人妻」の身でありながら「自由なセックス」を希望し始めてしまった場合、人妻は、その段階になってはじめて、自分のなかから失われた選択肢の大きさに愕然とすることになるでしょう。

不倫によるセックスのさいに、人妻の心に、もし、「結婚なんてしなければ、こんなことには!」というような叫びが起こるとすれば、それは、「結婚」という失敗に対する嘆きであると同時に、「結婚」によってのみ与えられるやや特殊な快楽、「自由」を抑圧されるからこそ得られる快楽に対する喘ぎ声でもあるわけで、その人妻の叫びは、両義的な響きを持つことになるでしょう。

結婚の失敗と引き換えにアンモラルなセックスに成功する

「夫」という存在がいながらもついつい「不倫」をしてしまうというタイプの「人妻」がおかしてしまった最大の失敗は、やはり、出発点である「結婚」なのではないか、と私は考えています。

「結婚」さえしなければ、一人の女性が「人妻」になることはありません。「人妻」にさえならなければ、「他人が欲望しているものを欲望する」ことや「結婚という制度によって一人の男性に独占されている女性とセックスする」ことに生き甲斐を感じてさえいる「人妻好き」と呼ばれる「夫以外の男性」に眼をつけられることもないのですし、「夫」を裏切らずに済んだのです。

しかし、これは、「結婚」という選択をして「人妻」になったからこそ、「人妻」の女性は、「人妻好き」の男性に体を許し、「夫」を裏切ってでもするセックスの快楽を味わうことができる立場になったのだ、という風に言い換えることもできるでしょう。

一人の女性が「人妻」になってしまう契約である「結婚」という選択が、彼女にとって果たして失敗であったのかどうかは、「人妻好き」との姦通セックスによってはじめて明るみことなのではないかと思います。

そして、その失敗が明るみになる瞬間は、皮肉なことに、独身がおこなうことができる「自由なセックス」とは違った質感の、自由が抑圧されているからこそ得られる禁忌をおかす「快楽」とともに訪れることになるでしょう。

「結婚」は失敗であっても、性的には成功するのですから、良し悪しなのかもしれません。

不倫セックスができる人妻は基本的に結婚に失敗している

不倫セックスができる人妻は基本的に結婚に失敗している

「人妻好き」の男性は、なにも、すべての「人妻」とセックスができるというわけではありません。「人妻好き」の男性には、眼の前にいる「人妻」がセックスできる「人妻」であるかどうかを見抜く能力がつねに求められることになるでしょう。

結婚生活に満足しており、また、夫や子供との共同生活にもこれといった問題を感じておらず良好な関係を保っている「人妻」とセックスをするのは、ほとんど不可能であるでしょう。どれほど抱きたいと思ったとしても、このような充実した人妻とのセックスは早々に諦めるのが賢明です。

「人妻好き」の男性がセックスできる可能性がある「人妻」というのは、「結婚」という失敗にじわじわと気づきはじめて「後悔」を始めている段階にいたり、夫や結婚生活というものに不満を感じているタイプの「人妻」に限られます。

このような「人妻」と出会う機会があったならば、発覚のリスクを巧妙に回避することだけはしっかりと考えたうえで丁寧に性交渉をしかければ、かなり高い確率で人妻セックスをすることが可能です。

結婚しなければならないというプレッシャーに負けた人妻

それほど深い考えを持たずに「結婚」という選択をとった「人妻」はどちらかというと失敗をしている傾向があり、「人妻好き」にとっては狙い目です。
日本においては、男女問わず、結婚をしていない独身者に対してはきわめて厳しい視線が向けられる傾向があり、独身であることは悪である、というような濃厚な空気が醸成されています。

この「空気」は非常に恐ろしい力を持っており、「結婚している姿を親に見せなければならないから」「同級生がつぎつぎと結婚しているから」「子供を産まないと生産性がない女だと言われてしまうような世の中だから」というような様々な目に見えないプレッシャーへと変化しながら、「結婚」をする必要がない女性にまで「結婚」を焦らせ、「結婚」を決意させることになります。
「人妻」の、「結婚」に対して抱く「こんなはずではなかった」というような失敗や後悔の感情は、このような、国が先導し、そして、国民によって作らせた「空気」の、同調圧力に流された結果でしかない「結婚」によってもたらされるものであるといえるでしょう。

このような「空気」に対して「結婚はしてもしなくてもいいのではないか。無理してするものでもないのではないか。しなかったからといって人として劣っているということはないのではないか」というような態度をつねに保ち続け、「結婚」の同調圧力に逆らっていくには、相当に強い精神力と、「結婚」にまつわる明確な考えを持つ必要があります。

失敗する結婚が多ければ多いほど人妻好きは潤う

「空気」に抗うための精神力を持っておらず、「なぜ結婚しなければいけないのか」ということも少しも考えず、ただただ「空気」に流されるままに「結婚」をした場合、ここに「失敗」が発生するのは当然であるともいえます。

「空気」に流されて、社会に慮った「結婚」をしたがために、「人妻」「こんなはずではなかった」と感じたならば、あとはもう、「不倫」という選択肢を受け入れて「人妻好き」の男性の性交渉に応じるタイプの「人妻」になるルートがきれいに開かれていくだけです。

「空気」に流された結果として決断された「失敗」の確率がきわめて高い「結婚」は、国民国家の繁栄とゆるやかな総動員体制を整備させることへと繋がりますが、同時に、「人妻好き」がセックスしやすい「人妻」を大量生産します。

このような失敗の確率が高い「結婚」は、「人妻好き」にとっては「利益」につながるものでありますから、「人妻好き」「結婚をしなければいけない」という「空気」を見事に作り出したこの国に感謝をしたほうがよいでしょう。

「人妻」としても、自由意志のつもりで実は空気に流されていただけの、妥協した「結婚」による失敗と引き換えにして、小市民的なスリルをともなった、背徳的な人妻セックスの快楽を味わえるのですから、その意味では、「失敗した結婚」というのも、なかなか「いい結婚」であるのかもしれません。